建築家も、市民も、19世紀以前の都市の作法を忘却してしまいました。


もっとも、20世紀も終わりの押し詰まった時期に、社会も経済もまったく条件の異なるそのような19世紀都市の論理に立ち返るべきであったかどうかは、根本的に疑問の残るところです。


しかし、1980年代という.ハブル経済を背景にした未曾有の都市の時代は、短兵急な形で都市の豊かさの回復を市民に提示しようとして・・・


取りあえず、モダニズムという20世紀都市の発想を排して、19世紀以前の都市の表層の表現に回帰する意志を持っていました。


その狙いに建築家たちが、半分は応えて、我田引水したがために半分は応えられなかったのは、ここまで見てきたとおりです。


建築家の「個」だけが粒だって見えたのが、1980年代であったとするなら・・・


運動としての「IBA」は、都市居住の試みという本来の目的からずれたところへ行ってしまったのかも知れません。


「・・・または20フィート、30フィート、あるいは40フィートの針金を用意してその上端を釘で固定し、他端には皿をつけて重りを載せる・・・


そしてこの皿と地面との間の距離を測ってこれを記録する・・・


重りの大きさを何段階かに変えてそのたびに伸びを測って両者を比較してみると、伸びの比はいつでも重りの比に等しいことがわかるだろう」。


・・・フックはまた引張りを与えた針金その他種々の物質内を伝わる音の伝達の実験をもしています。


「1ファージング(約200m)以上離れていてもささやき声を聞くことができ、うまくやればこの10倍の距離でも可能」と書いています。


彼はその他に空を飛ぶ機構にも興味を抱き、「固定翼」で飛ぶことができると信じていました。


彼はこのように立派な仕事をたくさんなしとげた科学者でしたが、ニュートンとかホイヘンスといった当代の大科学者たちと激しい争いをした結果、彼の評判がいたく傷ついたのは不幸なことでした。


フックの肖像画は生前に少なくとも1度描かれたのは確かですが、現在では1つも、王立協会にさえも残っていません。


1696年、フックの健康は急速に衰え、7年の永きにわたって病をわずらったあげく1703年3月3日、ロンドンで死去しました。


フックの研究は多方面にわたり、懐中時計の天府車をばねで制御すること、自在継手(カルダンの発明という説もあります)、ばね秤、反射望遠鏡(これは後にニュートン式望遠鏡ともいわれるようになった)など・・・


これらはすべて彼に負うています。


1676年には物質、とくに金属の弾性的性質について実験を行い、1678年には有名な論文「De Potentia Res-titutiva(ばねについて)」を著しました。


現在フックの法則として知られているものはこの中に書かれています。


この法則は「荷重によって棒やばねに生ずる伸びは、弾性材料では荷重の大きさに比例する」というものです。


あらゆる弾性体の力学の研究はこの単純な法則の上に成り立っています。


この法則をフック自身がどう述べているかを、次回引用しておきましょう。



1665年に王立協会が設立されると彼はボイルの推薦で博物館主事となります。


そこで開かれる集会ごとにそれにふさわしい実験をいくつも計画し、実演をしました。


後に彼は王立協会の事務長となりました。


彼は光の性質に夢中になり、1665年に著した「ミクログラフィア」の中で光の波動理論を提唱し、薄膜を通る光の色に関する実験について記しています。


ニュートンが大著「プリンキピア」を著わす20年も前に、フックは重力と求心力の釣り合いを基に惑星の運動の理論を考え・・・


そして、地球と太陽との間に働く引力は両者間の距離に反比例することをニュートンに示唆したのでした。


1666年9月のロンドン大火のあと、フックは数人の友人達といっしょに市街の復興計画に関係することになりました。


行政官たちは彼の提案になるロンドン市の再建計画にすっかり魅了され、ただちに彼を監督官に任命しました。


彼は市の再建に協力して実際にいくつかの建物をも設計しています。



17世紀におけるもっとも功績ある科学者の1人、ロバート・フックの名前は中学生なら「フックの法則」によって・・・


また機械技術者には「フック継手」という自在継手で知られています。


ロバート・フックは1635年7月18日にワイト島のフレッシュウォーターで生まれました。


子供のころは病気がちだったので、13歳になるまで学校には行きませんでした。


もっと大きくなってロンドンのウェストミンスター校に行くようになるまでは、家で図面を描いたり、機械仕掛けのおもちゃを自分で作ったりして過ごします。


のちにオックスフォードのクライスト・チャーチの聖歌隊貝になって、ここで多くの著名な科学者と接することができました。


彼は科学には深い興味を持っていたし、機械仕事も好きだったので、これらの科学者たちの仕事を手伝うことになります。


有名なロバート・ボイルの助手として、ボイルが歴史的な気体の実験に用いた空気ポンプの製作に携わりました。


・・・しばらくして彼は振子と時計用のばねについて自分自身の研究を行いました。



新しい国際秩序の中でのリーダーシップは、軍事力というよりは、むしろ環境を持続しうる経済をつくるための舵とりの能力にかかっています。


伝統的な軍事超大国であるアメリカ合衆国とロシアは、いまやこうした面では遅れをとっており、環境面で指導性を発揮する政府に太刀打ちできなくなる可能性があります。


たとえば1990年6月に西ドイツ政府(当時)は、資源の再利用やリサイクルに取り組む野心的な環境政策を打ち出したのに加え、2005年までに炭素排出目量を25パーセント削減するという画期的な決定も下しましたが、これは新生統一ドイツに、国際社会におけるリーダーの役割を与えるかもしれません。


環境破壊への取り組みのために残された時間は、刻一刻と短かくなりつつあります。


環境を持続できない世界経済を、持続可能な経済へと早急に変換するために、強力なイニシャティブをとる必要性が痛感されています。


こうした変革を達成する手段としては、たとえば子どもの数を少なくしたり、ゴミを少なくするといった個人のライフスタイルを変えることから、自動車や家電製品のエネルギー効率を高めるための法的規制まで、さまざまなことが考えられます。


しかし、もっとも効果的な方法は、税制を変えることです。


とりわけ世界最大の人口をかかえるインドや中国などの発展途上国がフロン・ガスを使わないですむように支援するためにも、こうした資金体制は必要でした。


気候を安定させるには世界のエネルギー経済の仕組みを変えなければなりませんが、そのための国際的合意の実現はずっと難しいでしょう。


現段階のスケジュールでは、1992年6月に開かれる「環境と開発に関する国連会議」で大まかな合意を得ることになっていますが、この合意が新しい世界秩序を占う最初の試金石となるでしょう。


これからは、第二次世界大戦以後の世界を特徴づけた軍事同盟に代わって、国をまたがる環境の脅威に対処するための環境同盟が、一般的で数もはるかに多くなっていくと思われます。


いくつかの例をあげると、ヨーロッパ諸国は地域の森林破壊を救うために共同で立ち向かえるし、バルト海に接する国々はともにその環境悪化を押し戻すために力を合わせることができるはずだ。


インド亜大陸の諸国は力を合わせ、ヒマラヤにふたたび森林を回復して、作物に被害をもたらす洪水を減らすこともできるでしょう。


西半球を移動する鳴鳥や、ヨーロッパとアフリカのあいだを移動する水鳥など、渡り鳥を保護するための南北間の同盟の必要性もますます高まるにちがいありません。


出現しつつある秩序において、国連は世界的課題に対し、これまでよりずっと大きな役割を果たすようになるでしょう。


とりわけ平和維持に関しては、その役割は当初期待されたものにますます近づくと思われます。


こうした能力を発揮してみせたのが、1990年にイラクがクウェートに侵攻した際に、指導的かつ積極的な役割を果たしたことです。


またカンボジアをめぐる90年の国連和平会談でも、大きな役割を果たしました。


もし国連が当初期待された平和維持の役割をしっかりと果たすことができるなら、軍縮をさらに推し進め、その資源を環境の保全に振り向けられるにちがいありません。


もう一つ国連の役割が大きくなっていることを示すものとしては、成層圏のオゾン層破壊を食い止めるために結ばれた、フロン・ガスの早期廃絶をめざす1990年6月の国際協定があげられます。


およそ93か国ほどが合意し、90年代末までにフロン・ガスの製造を中止するというもので、98年までに50パーセントの削減を決めた87年のモントリオール議定書よりも前進しています。


こうした進展が見られたのは、第三世界がフロン代替品を獲得するための技術援助として、3年間にわたって2億4000万ドルを供与する国際基金が設けられたからです。

冷戦後の世界秩序はまだ予断を許しません。


しかし、その性格は大まかになら見きわめがつきます。


人類の条件を長期にわたって改善していけるかどうかは、国家経済政策や国際開発計画の目標を、成長から環境持続性に切り換えることができるかどうかにかかっています。


政治的な影響力は、軍事力よりも、むしろ環境や経済の面での指導性によるところが大きくなるでしょう。


また、新しい秩序においては、東西間の政治的対立に代わって南北間の経済的対立が浮上するでしょう。


解決されるべき南北間の問題の中には、第三世界の債務削減、北の工業国の市場を開放するという問題・・・


さらには豊かな国と貧しい国とのあいだで環境保護のコストをどう配分するかといった問題が含まれています。


ではそのような状態にどうやってもっていくか。


それは前述の馬車のたとえでいえば、揺れ動く心(手綱)を意識(御者)がしっかり方向を定めてやることです。


それができれば人馬一体で快適な人生の旅ができることになります。


そのような心境になるために、病気になった人にぜひ知ってもらいたいこと、それは喪失感をなくすことです。


病気になると何を思うか・・・。


ほとんどの場合、健康のありがたさなのです。


病気になってはじめて健康の大切さを知るのは基本的にはよいことです。


しかし、それを失ったものと考えてはいけないのです。


病気になることは健康を失うことではない。


健康の大切さを理解し、新しい健康を手に入れるために病気になるのです。


病気になることは健康への第一歩だと私は思っています。

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